人生=チョコパイ
チョコパイをね、食べたい。今なら30個とかいけそう。それくらい食べたい。
チョコパイのことを考えるだけでも、相当なよだれですよ。
パブロフの犬も「うわきったな。えっなにおめぇ、何考えてんの?」って気持ち悪がるくらいのよだれ。
思えばチョコパイには子供の頃からお世話になってまして、ええほんとお世話様です。
あの頃のごちそうと言えばチョコパイだった。
「お腹すいたなー」なんてお菓子箱を漁って、チョコパイが入ってた時はちょっとした祭りです。
「うひょー」なんつってね。母親にココア淹れてもらっちゃったりするわけ。
まずあの包装がいいよね。あずき色と銀色。
ピカピカしてるのに落ち着きがあってちょっと大人な感じでゴージャスっぽくて、あの包装を見ただけでも「今からぜいたくするぞー」ってテンションが上がる。
日々、ばあちゃんと一緒に茎わかめ食べさせられてる子供からしたらかなりのぜいたく。チョコパイの数だけ幸せ。
もうあの包装を見ただけでアゲアゲなわけです。
なんならちょっとした小躍りを披露して、ココアの入ったカップを倒して母親に怒られたりする。
もちろん味の方も期待を裏切らない。うまい。ほんとうまい。チョコのあの甘くて優しい舌触りね。
まろやかっつーの?合ってる?チョコパイの感想として「まろやか」は合ってるんだろうか。
語彙力がほんとアレ。まあ俺が説明するまでもなくチョコパイは国民的なナイスおやつだけどね。
あとあの生地の部分。薄いチョコのコーティングの下に、これまたナイスな生地が仕込まれてる。
そんで、さらに中には純白のクリームも入ってる。
チョコで一発目の甘さが来て、ナイス生地で一旦舌をリセット、かと思ったらクリームの程よい甘さがまた舌を襲うわけです。
ほんとね、襲われてる。でもその甘さの波が心地よい。人生はこうはいかないね。ずっと苦いから、こいつ。
まあそのチョコパイの方もいろいろあるようでして、小さくなっただのなんだの言われておりますが、正直どうでもいい。あの味を体感できるならサイズなんて二の次三の次ですよ。
ほんと、したり顔で「小さくなったよねー。昔はもう少しさー」とか言ってる人はなんなの?
いっぱい食べたいならいっぱい買えばいいのに。
お金がないならもうちょっと安いアパートに住め。電車代を節約しろ。愛が足らないんじゃないの、愛が。
その程度の覚悟でチョコパイを語られたくない。
俺の青春だから、チョコパイは。むしろ人生と言ってもいい。
もしも神様に食事とかにお招きされたら手土産は確実にチョコパイだし、俺の墓前にはかかさず毎日お供えしてほしい。もちろん包装付きで。
そしたら「うひょー」って言うから。地獄から叫んでやるから、耳をすましてごらん。
子供の頃は「一日一個まで」なんてルールにがんじがらめにされてたけど、今や俺も成人しちゃってるし、一日一個どころじゃない。
欲望のままにむさぼるよ。勢いに任せて二個重ねて食べたりしますから。
そんで喉につまって牛乳で流し込む。そんな夜もあるかな、たまにね。
普段はね、まず包装を1分くらいたっぷり眺めて、堪能して、上の方のできるだけギリギリのところをハサミで切って開ける。
そんで、静かに包装から出して、確かめるようにそっと齧る。そうそうこれ。この甘さ、食感。たまんないねぇ。大人になってみると、このふわふわ感がほんと心にまで優しいっていうか、癒しだよ。
リラクゼーション効果がかなり高いです。
なんかどこからともなくヒーリングミュージックとか聞こえてくるもん。幻聴?違う違う。
このふわふわ感、めっちゃ寝心地よさそうじゃない?
もはや包まれたい。ほんと包むよねー、パイって包むよ。それがあいつらの仕事だしね。ん。
あれ、こいつパイなの?なんか違くない?
パイってなんかもっとこう、皮があるじゃん。パリパリっとしたやつ。
パイの要素どこよ。
なんか、どっちかというとこいつケーキじゃねぇ?全体的にふわっとしてるもん。
少なくとも、俺がこれまで見てきた、パイと呼ばれる食べ物はもっとメリハリのあるやつだったよ。
こいつもしかして偽ってねぇ?
でもまあ、どうでもいいです。うまいし。