ニート時代を振り返る ~生活について~
ニートを脱出してからそろそろ一年くらい経つので、当時を振り返ってみる。
取りあえず今日は、当時の生活について振り返って良かったことや悪かったこと・反省点を挙げてみる。
まずは、当時の大雑把な一日の流れ。
ニート時代の一日の流れ
10:00
起床。ここからさらに布団のなかで過ごし、結局起き上がるのは11:00ころ。
11:00
コーヒーを淹れる。お昼が近いためお菓子か食パン1枚をつまむ。
12:00~13:00
昼食。祖母と暮らしていたため、昼食は祖母が用意してくれた。片付けも祖母。
13:00~17:00
だらだら過ごす。
ペット(ネコ、カメ)と遊ぶ、ネットサーフィン(主にYoutube、5ch)、漫画を読む、車で市内をあてもなく走る、釣りに行く、本屋をぶらつく、水族館に行く、海を見に行くなど。
18:00
雨が降っていなければ散歩に出かける。
19:00
両親たちが帰宅、夕食。
夕食後も漫画を読んだりネットをしたりしてだらだらと過ごす。
寝る時間は日によってまちまち。23:00に布団に入ったり2:00過ぎまでスマホを眺めたりしていた。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
改めて見るとほんとにひどい。なにもしてない。こんな生活を2年ほど続けた。
振り返ってみてもこれといった思い出がない。
短期バイトを2か月くらいやったこともあったが、この間に働いたのはそれだけ。
ニート時代の楽しかったこと
楽しいというほど前向きではないけど、ネットはかなり気休めになった。好きな漫画家さんがYoutubeで雑談や作業の配信をしていたので、それを見るのが好きだった。あとは5ch。5chは主に鬱憤をぶちまけるために入り浸っていた気がする。普通に雑談したりもしたけど、だれかを煽っていることが多かった気がする。
平日の昼間に自由に出歩けるというのもよかったと思う。「外なんか出歩けない!」という人もいると思うが、ぼくは気にせず出歩けるタイプだった。
それと釣り。釣りはけっこう楽しかった。あたったときのあの感触はなかなかいい。
海釣りだったので、今住んでいる海なし県に来てからは釣りはしていない。たまにしたくなる。
ニート時代の良かったこと
基本的にはニートを経験できてよかった、と思うようなことはない。ぼくのように、何もせずに過ごしていたらそうだろう。打ち込める何かがあったり勉強をしたりできていれば「よかった」と言えるかもしれないが、ぼくはそういうことがなかった。もったいないことをしたと思う。
とはいえ、「役に立ったな」と思うことはある。それはマインドフルネス瞑想を始めたこと。
ニート生活を始めた頃は特にそうだったけど、自分のストレス耐性に自信がなかった。そこで何とかならないかと、いろいろ調べてたどり着いたのが瞑想。瞑想なら一人でできるので、人見知りの激しい僕でもできると思った。
瞑想を始めて3年くらい経つ。世間では、「集中力が高まる」とか「記憶力が良くなる」とかいろいろな効果が謡われているけど、ぼくが実感できているのは以下のこと。
マインドフルネス瞑想をするようになって変わったなと思うのは、自分のメンタル状態を客観的に見れらるようになったこと。「いま疲れてるな」「冷静じゃないな」「気持ちが落ち込んでるな」。こういったことに気付けるだけでもだいぶ気持ちが安定する。それでも落ち込んだりイライラすることもあったけど「たまにはいいか」と受け入れられるようになった。
(余談)
どうでもいいけど、瞑想についてネットで調べるとかなりの数でスピリチュアルな記事が出てくる。
その中でよく目にするのが「宇宙とつながる」という言葉だけど、あれはいったいどういう意味なんだろう。何を目的にしているんだろう。宇宙とつながるという状態がまったく分からないし、たとえつながったところでそれがどうしたんだろう。一体この人たちはどうなりたいんだろうと、スピリチュアル系の記事を見かけるたびに思わず笑ってしまう。
話を戻す。
ニート時代に身に付けた瞑想の習慣のおかげで、最近はメンタルを把握するだけでなく、「ちょっと調子悪い」程度の不調ならその場で回復できるようになった。
自分の呼吸に意識を向ける習慣が身について、呼吸が自分の体調の良し悪しと関連していることに気付くようになった。息苦しかったり呼吸が浅かったり、そういった違いから自分の体調・メンタルを把握できるようになった。
息苦しいなら息苦しいまま呼吸を続ける。無理に整えようとするとますます呼吸は乱れるというのがこれまでの経験でわかったこと。そうやって息苦しい呼吸に意識をむけ、それを続けていくとだんだん呼吸が楽になっていき、身体の調子も整う。「なんとかしよう」と思うとうまくいかないけど、見守るようにすると回復する。そういういう風にできているのかもしれない。
自分に対する気づきを経験すること。何よりも大事なのはこれだろう。こういったことは瞑想でないと経験できないというわけではない。気づくための練習として瞑想が有効だとは思うけど。
気づくことと受け入れること。この両方を自分で経験すること。なにをするにも、まずこれが始点になる。
普段の生活の中で、自分自身のことで気づかないといけないことがまだたくさんあるように思う。
ニートのうちに何かひとつ、新しい習慣を身に付けておくのはいいことだと思う。別に瞑想じゃなくても、早起きとか運動とか読書とか。
ニート時代の悪かったこと
そもそもニートになったこと自体があまり良くないことだと思うけど、それを言ったら始まらない。ひとつ挙げるのであれば「生活リズムがぐちゃぐちゃだったこと」。
一日の流れのところでも書いたけど、寝る時間が日によってまちまちだった。朝はたとえ睡眠時間が足りなくても目が覚めたので毎日同じような時間に起きられていたけど、寝る時間はコントロールしようとすらしなかった。
そんな生活を送り続けた結果、ぼくの体内時計はだいぶ乱れた。
これで困ったのは仕事に就いてから。朝、布団から出られないということが何度かあった。眠いとかではなく、身体に力が入らなかったのだ。頭は起きているのに身体は寝ている。そんな状態。働く前であれば動けるようになるまで布団でじっとしていればいいだけだが、会社に行かないといけなくなるとそれではすまない。身体に力が入るようになったころにはとっくにバスが出発していたなんてことを何度も経験した。
さらに、朝にそういうことがあるともう一日中身体に力が入りづらく、会社の中を歩いているときもたびたび膝から力が抜け、膝をカクカクさせながら歩くハメになる。
ということで、体内時計が乱れるような生活を送るのはやはり良くない。改善するのに有効だったのが「起きた時に太陽の光を浴びる」。ぼくはこれを毎朝することで、身体に力が入らないということが起こらなくなった。
これは習慣にしやすかった。まず布団を敷く位置を窓際に変えた。これなら起きた時にカーテンを開けるだけ。布団から出なくても太陽の光を浴びることができる。
とりあえず起きたらカーテンを開ける。起きたのが朝じゃなくてもいいから開ける。
まとめ
ぼくはニート時代を無為に過ごしたけど、実はあまり後悔していなかったりします。後悔してもしょうがないなと思うし、客観的にみたらクソみたいな生活だけどそんな生活が嫌いじゃなかったし。
家族はじめ周りの人たちはもどかしかったと思う。それはわかっていたから申し訳ないなと思っていたけど、そこまで思い詰めていたわけでもなく。
たぶん、ニートになったときに何もかもどうでもよくなったんだと思います。
最初はそんな感じだったけど、今はなんとか仕事してるし、生活もなんとかなってる。だからなおさら、ニートになることが悪いことだとは思っていないのです。今のところは。